ブレゲの万年筆

数年前にパリのヴァンドーム広場にブレゲのブティックが出店され、メーカーさんに招待され一度見学に行った事があります。ちょうどバーゼルフェア後に連れて行ってもらったのかな?
なかなか日本では見ることの出来ないレア物から、新しいコンセプトの什器。
そして地下室にはブレゲのアンティークウオッチが並べられ、さらに奥には歴代の顧客台帳が収蔵されていました。
ブレゲの顧客にはナポレオンやマリーアントワネット、チャーチル首相など早々たる方々がいらっしゃいます。
いつかはこの顧客台帳に記載されたい!と憧れを抱くものでした。
そう、憧れを、、、
そんなこんなで一通り見学が終わった頃にブティックの店員に「コノモデルイカガデスカ」などと勧められる。
どうも事前にキッチリ連絡が言ってないようで、日本からきた観光客と勘違いしている様子。
挙句、シイベルヘグナー謹製の日本語版「ブレゲ」カタログを取り出し、「ほら、日本より○○%安いですよ」などいいはじめる始末、、、一緒に行った他のお店の方も苦笑してました。
そんな中、(5,6人が押しかけた状態なので)何か買っていかなければ気まずい雰囲気になり、とはいえ、いきなり顧客台帳に載るような買い物なで出来るわけもなく、、、
と、その時、目に飛び込んできたのがこのブレゲの万年筆でした。


ボディにはブレゲの文字盤を彷彿させるギョウシェ模様。リュウズのカボションをイメージしたブルーのリング。そして、ブレゲ針を模したクリップ。
キャップを開けるとそこにはブレゲの「B」マークの彫られたペン先。
聞くところによると、製作はモンテグラッパとの事。
うーん、欲しい、、、でも、、、万年筆と水性ボールペンのセットで20万は超えるので、そんなのは変買えない。
とかなんとか言ってたら、万年筆だけや水性ボールペンだけもあるとかで。
なんなら普通の油性のボールペンも。
とはいえ、ここで買っていいのか?これでも正規販売店の店員だゾ!
しかも海外でそんな高い物を買った事がない。
と、なやんでいたら、日本での販売はしていないとの事。そして、誕生日と同じシリアルナンバーがあるとの事。
などと、色々自分に言い訳と理由をつけて購入にいたりました。
(このとき、家にカード会社から私が今どこにいるか確認が入ったそうな。)
さすがにペンでは顧客台帳には載らないらしいですが、いつかはこの台帳に記載されたいと誓った時でもありました。
その後、手紙を書くときにタマに使ったり、こんなペンは日本にそんなに無いだろうと悦に浸っています。
そんな思い出の品です。
2年後、、、
メーカーさんより、ペンの販売が日本でも開始との事。
なんてこった、、、
スピードマスタープロフェッショナル月面着陸40周年限定モデル Ref.311.30.42.30.01.002
スピードマスタープロフェッショナル月面着陸40周年限定モデル
Ref.311.30.42.30.01.002


アポロ11号月面着陸40周年記念モデルです。
特徴的なのは9時位置のスモールセコンドダイヤルにアポロ11号のミッションワッペンをモチーフにしたメダルがあしらわれています。
また、クロノグラフの秒針の先が赤く染められていたり、[02.56 GMT]と着陸した時刻が文字盤に記載されています。

裏蓋にはミッションワッペンのデザインが彫りこまれています。



さらに特別ボックスにはシルバー製のメダルが付属しています。
さて、スピードマスターもここ数年、記念モデルを連発してきています。毎年の事ではありますが。
ムーブメントやスピマスの特徴をいまさらながら繰り返し書くつもりはありません。
しかし今回のモデルはブレスレットがネジ式に変ってきています。ここが大きな特徴です。

これは昨年コアクシャルモデルで使用したり、新型アクアテラでも用いられたりりている(特許申請している特別な)ネジになります。
限定モデルとはいえ、このネジを使用してきたと言うことは今後通常モデルでも使用してくるかもしれません。
(あくまで個人的な想像です。メーカーからは何も聞いていません。)
では、なにが特徴的なネジのかというと、見た目はごらんのとおり何も変りません。
メーカー曰く、従来のネジより緩みにくいそうです。
ひじょ〜にジミな特徴ではありますが、重要な事だとおもいます。
また、これにより、ブレスの剛性も高くなったような感じがします。
耐久テストをしたわけではないので判りませんが、この「感じ」が大切なポイントだと思います。
この地道なグレードアップがオメガのメーカーとして好感の持てるところだと思っています。
Ref.311.30.42.30.01.002
7969本限定 特別BOX シルバー製記念メダル付き
50m防水 42mm SSケース プラスチック風防
キャリバー1861 手巻き 28800振動 48時間パワーリザーブ
¥546,000(消費税込2009年6月希望小売価格)
Ref.311.30.42.30.01.002


アポロ11号月面着陸40周年記念モデルです。
特徴的なのは9時位置のスモールセコンドダイヤルにアポロ11号のミッションワッペンをモチーフにしたメダルがあしらわれています。
また、クロノグラフの秒針の先が赤く染められていたり、[02.56 GMT]と着陸した時刻が文字盤に記載されています。

裏蓋にはミッションワッペンのデザインが彫りこまれています。



さらに特別ボックスにはシルバー製のメダルが付属しています。
さて、スピードマスターもここ数年、記念モデルを連発してきています。毎年の事ではありますが。
ムーブメントやスピマスの特徴をいまさらながら繰り返し書くつもりはありません。
しかし今回のモデルはブレスレットがネジ式に変ってきています。ここが大きな特徴です。

これは昨年コアクシャルモデルで使用したり、新型アクアテラでも用いられたりりている(特許申請している特別な)ネジになります。
限定モデルとはいえ、このネジを使用してきたと言うことは今後通常モデルでも使用してくるかもしれません。
(あくまで個人的な想像です。メーカーからは何も聞いていません。)
では、なにが特徴的なネジのかというと、見た目はごらんのとおり何も変りません。
メーカー曰く、従来のネジより緩みにくいそうです。
ひじょ〜にジミな特徴ではありますが、重要な事だとおもいます。
また、これにより、ブレスの剛性も高くなったような感じがします。
耐久テストをしたわけではないので判りませんが、この「感じ」が大切なポイントだと思います。
この地道なグレードアップがオメガのメーカーとして好感の持てるところだと思っています。
Ref.311.30.42.30.01.002
7969本限定 特別BOX シルバー製記念メダル付き
50m防水 42mm SSケース プラスチック風防
キャリバー1861 手巻き 28800振動 48時間パワーリザーブ
¥546,000(消費税込2009年6月希望小売価格)
テーマ : 腕時計 - ジャンル : ファッション・ブランド
心斎橋筋ゆかたモードコンテスト2009
心斎橋筋から南船場方面へ移転し、はや1年数ヶ月ですが、今でも商店街のお手伝いをさせていただいております。
その心斎橋筋商店街のイベントの1つである「ゆかたモードコンテスト」が7月20日に行われます。
心斎橋筋ゆかたモードコンテスト2009
http://www.shinsaibashi.or.jp/event/eve.html#yukata2009
先日から応募期間が始まりその告知イベントのお手伝いに参加してまいりました。
やはり華やかなのはイイですね〜(^。^)
応募期間は6月30日までです。ぜひご応募お願いします。



その心斎橋筋商店街のイベントの1つである「ゆかたモードコンテスト」が7月20日に行われます。
心斎橋筋ゆかたモードコンテスト2009
http://www.shinsaibashi.or.jp/event/eve.html#yukata2009
先日から応募期間が始まりその告知イベントのお手伝いに参加してまいりました。
やはり華やかなのはイイですね〜(^。^)
応募期間は6月30日までです。ぜひご応募お願いします。



ロレックス コスモグラフ デイトナ SSYG 116523/78593 ROLEX COSMOGRAPH DAYTONA
ROLEX COSMOGRAPH DAYTONA SSYG 116523/78593
ロレックス コスモグラフ デイトナ SSYG 116523/78593

デイトナのコンビネーションモデルと18金モデルに新しくアイボリー色の文字盤が追加されました。
インダイヤルを黒色にし、インデックスにはアラビア数字を使用し、クラシカルでスポーティな印象を受けます。
黒色のダイヤルの中に赤いライン(サークル)を入れているところがコニクイところですね。
ちょっと大人の為のデイトナです。
¥1,438,500(税込み)
Ref.116523
100m防水 自動巻
40mmステンレススチール&イエローゴールドケース
¥1,438,500(消費税込2009年4月希望小売価格)

さて、このデイトナシリーズ。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、お客さんのご指摘により初めて知りました。
ラグ(ベルトの付け根)の幅が左右で太さが違うんですね。
現行の116520だけでなく、16520でも左右が違ったそうです。
微妙な差でしかありませんが、それゆえよく見てみないと判らないところでもあります。
おそらく右側がリュウズやプッシュボタンがあるのでバランスをとる為に右側を細くしているのでしょう。
こんなところまで気を使ってデザインされている事に改めて感心しました。
教えて頂き、ありがとうございます。
ロレックス コスモグラフ デイトナ SSYG 116523/78593

デイトナのコンビネーションモデルと18金モデルに新しくアイボリー色の文字盤が追加されました。
インダイヤルを黒色にし、インデックスにはアラビア数字を使用し、クラシカルでスポーティな印象を受けます。
黒色のダイヤルの中に赤いライン(サークル)を入れているところがコニクイところですね。
ちょっと大人の為のデイトナです。
¥1,438,500(税込み)
Ref.116523
100m防水 自動巻
40mmステンレススチール&イエローゴールドケース
¥1,438,500(消費税込2009年4月希望小売価格)

さて、このデイトナシリーズ。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、お客さんのご指摘により初めて知りました。
ラグ(ベルトの付け根)の幅が左右で太さが違うんですね。
現行の116520だけでなく、16520でも左右が違ったそうです。
微妙な差でしかありませんが、それゆえよく見てみないと判らないところでもあります。
おそらく右側がリュウズやプッシュボタンがあるのでバランスをとる為に右側を細くしているのでしょう。
こんなところまで気を使ってデザインされている事に改めて感心しました。
教えて頂き、ありがとうございます。
テーマ : 腕時計 - ジャンル : ファッション・ブランド
ケビン・シュワンツと時計
「おーっと、ハイサイド!!」
とTVから聞こえてきてはバイクとライダーが吹っ飛ぶ。
こんな事が毎レースごとに発生していたのは1980年後半から1990年代のバイクレースだったと記憶しています。
当時は「ワールドGP500」と呼んでいたと思いますが、今で言うモトGPになるのでしょう。
今のトップレーサーはロッシかと思いますが、当時はヤマハのレイニー、ホンダのドゥーハン、そしてスズキRGV-γを駆るシュワンツでした。
このシュワンツのイメージは無理を承知で前に出る!試合に負けても勝負で勝つ!というふうなところで無理をしなくても良いところでも終始攻めのスタイルでした。F1でいうマンセルと被るイメージでしょうか?
おそらくホンダ、ヤマハとのマシンの性能差を詰めるべくそういったスタイルになったのかも知れません。
あくまで私感ではありますけれど。
さて、そのケビン・シュワンツのインタビュー記事がアメリカの時計雑誌「Watch Time」2008年12月号に掲載されていました。(表題[Sultan of SPEED] スピードの暴君??)
当然、私には訳せませんので友人に翻訳してもらった(←ありがとう)内容を元に紹介したいと思います。
ちなみに雑誌の写真にはスズキのラッキーストライクカラーの(もちろんゼッケン34)RGV-γにまたがるエエおっさんのシュワンツが載っていました。その手にはIWCポルトギーゼWGトゥールビヨンが!!
また、バイクのタンクの上にそのIWCのトゥールビヨンと一緒にブランパンの「ル・ブラッシュ コンプリートカレンダーGMTムーンフェイズ」とジャガールクルトの「マスターコンプレッサーダイビングGMT」のショットも。
12個入りのワインダーボックスにはグラスヒュッテの「パノグラフ」、IWCの「インジュニア」「ビッグパイロット」、ロレックスの「デイトナ」、フランクミューラ、B.R.M、オーデマピゲ、ユリス・ナルダンなどなど。
なぜかそのワインダーボックスは旋盤機の横に置いています(w
とても懐かしく、愉しいインタビューでした。
以下はその一部を翻訳したものです。(ホントありがとう)
長年に渡るモータージャーナリスト、Peter Cliffordが著したSchwantzの自叙伝、The World's Championによると ...
”KevinはCagivaとリードしていたが、Lawsonは右方向から割り込もうとしたが、そこには隙間はなく、
CagivaはSuzukiの後部に接触し、最後に双方はコースアウトした。
Lawsonは負傷しなかったが、Schwantzは左の尻の関節を外し、手首のすぐ上の前腕を骨折した。
痛みに対し高い耐久力のあるSchwantzは数日間で立ち、彼の腕の幅に合わせた特注(?)鉄製の
板をグローブの下に入れ、2週間後にはレース出場を果たした。
”ひとたび鉄板が入ると、腕時計をつけようとする度に煩わしいんだ。”と彼は言った。”
それは肉体的にフィットしなかったのではなく、腕を曲げるにもかなりの努力を要したんだ。
肘を静止すると、右手首を曲げることができた。同じ動作でもダメージを受けた左手では
さらにもっと難しかった。
ところが2年後、Schwantzはそんな左手首の損傷を外科処置をし、3本の骨を入れ(しかも治りにくい手の骨)1995年レースシーズンに向けて復帰を早めた。
”だから、左手の親指が右手とは違ってるんだ。”と彼は言った。
幸運にもSchwantzの右手首にはスポーツマンらしく、Audemanrs Piguet Royal Oak Offshore Chronograph と言う、とても良いデザインの時計があった。
小指には1987年Daytonaクラッシュの影響が見えた。
(掲載写真には右腕にオーデマピゲのロイヤルオークオフショアのチタンを付けて、小指が外側に曲がっている左手の様子を説明しています。)
”時々人々は、私には左腕用の時計が必要だと言うが、私の答えは
「あのクラウン(リュウズ)を見たか?手首をどんどんたたき、何も持てない。特にこの手ではね。」
もし両方の手首を怪我したら ... ”
彼は笑って
”コードで首を絞めなければならないだろう”
と言った。
1980年前半当時、ハウストンの町はずれに住んでいたティーンエージャーのSchwantzは、
時計に関してまっすぐな見方だった。
”もし、それがRolexぢゃなければ、数には入れていなかっただろう。
私の父も、母も、叔父までもRolexを身につけていた。それは当時のステイタスでもあったんだ。”
家族の伝統は、Schwantzのバイクのディーラーである両親、JimとShirleyは娘と息子の16歳の誕生日にRolexを与えることで続いていく。
”私のSister(姉?妹?)StaciはステンレスゴールドのRolexをもらった。”
そして彼は言った ... ”彼女はまだ持っているだろうが、もう私は持っていないんだ。”
Schwantzは夏の午後、Galveston近くの(膝までの波が打ち寄せる)浜辺で
友人とフリスビーをしている間に、Jubilee-Bracelet Datejustを失くしてしまった。
”父と叔父は、たとえ何をするにしてもいつも時計をしていたからだ。”と言い、
”飛び上がって(ジャンプして)フリスビーをキャッチしようと水面に着地した時、
時計がはじけ飛んだんだ。”
Schwantzはそれから2時間、メキシコ湾の砂底を探った。
だが、結局見つけることはできなかった。
両親の反応は .....
”まぁ ... 私たちはお前が長い間持ち続けることには期待していなかったよ。”
..... Schwantzはうなだれた。
彼がRolexのオーナーだった間、短期間ではあったが彼にとってはあたかも永く一緒にいたかのような感じだった。
”レース中ですら、ロレックスでなかったならば勝ちえなかっただろう。”
やがて私は人々と時計について話すようになってから、もっと時計の機械的性能を理解し、そしてさらに大きく興味を発展させていった。
chwantz43歳、今は特殊なデザインに近づいていく。
”私はかつて、Rolexは大きいものだと思っていた。それだけ時計は大きく、格好良いものだと思っていた。”
私はいつも自分の手首はGlycine Airman 7かBell & Ross Br01-96をつけるに十分に値しないと言っていた。
しかしもし、時計が何かユニークなものであれば .......... 。
Glycineは4都市の時間を表示し、Bell & Rossは航空機のメーターのようだった。
私は時々思う ... ”これらを手に入れろ!”
Schwantzは時計を集めるだけではなかった。人にプレゼントすることも楽しんでいた。
彼は1度、アトランタ近郊のKevin Schwants Suzuki Schoolから
インストラクター(10人全て!)に報酬として与えた。
Protege Ben Spiesが6回のシリーズチャンピオンMad Mladinを打ちのめし、
2006年AMA Super Bike Titleを最初に取ったときには、Schwantsは彼にBRM V-12を送った。
彼の愛する(大切な)黒のラブラドール”BUCK"は数年前、時計を持つところだった。
”それはChronoswiss Timemasterだったんだ。”と彼は言った。”ベルトほど長い
メガネ用ストラップを作り、十分に太い彼の首に合わせてそのベルトを調整しようと思った。
それは、$3,000〜4,000だったが ..... イヤ、それにそんな価値はない、
むろん彼(犬、BUCK)はその上に寝転び、スクラッチするだけさ。”
Schwantzは数多くの時計をコレクションした。
”私がそれらについて考えると、もう買わない!”と誓うが
”それはいつも、衝動買いなんだ。店に入り、とても良いぢゃないか!で、いくらなんだい?
ぢゃ、買うよ!って感じでね。”
彼の最高級時計はIWC Portuguese (ポルトガル製) Tourbillon Mystere、
18金ホワイトゴールド、ワニ革ストラップだ。
”$98,000で小売りしていたが、本当にそんな価値があるのか?”と彼は聞く。
”それは見方だと思う。”
Spiesがそれを見たとき、彼は”あ!君の腕には私のBMW M6があるぢゃないか!
しかし、もし私が彼にMercedes-Benz S65と取り引きして$100+M6を手に入れた時、
私は彼が$80,000と言うに賭けた。私の時計は$98,000、しかし私が払ったのは$69,000、
今はきっと$80,000の価値だろう。”
SchwantzはここのところAP'S Royal Oak Offshore Alinghi Team Choronographに
魅せられている ..... にもかかわらず違った時計を予約している。
”私はCarbon-Fiberケースは安物のようだと思う。恐ろしい!
しかし何人かのそれらを持っている人々と話すと彼らは、問題はCarbonだと言った。
鉄やプラチナ、ホワイトゴールドの重みがなく軽い。コピーウォッチの様だと。”
Schwants は自身の時計の機械的特徴に理解と評価すると同時に、決してバイク同様譲り渡すことはしなかった。
彼はエンジンオイルやタイヤを変えたりなどという、単純な作業さえしなかった
”もし私がそれをすると ..... ”
と言い、ぷっと吹き出しながら
”いずれまた壊れるだろう。私にとって時計の1番格好良い光景は、私が壊せないほど精巧に作られていることだ。”
”Ulysse Nardin Sonata Cathedral Dual Timeは、私が持っている時計の中で1番操作するには複雑な時計だ。
なぜなら、GMT、アラームがあり、アラームがなるまでのカウントダウンがあるからだ。”
”Sonataは私が持っている時計で唯一、アラームセットするためにリュウズを後ろに巻かなくてはいけないんだ。”
Schwantsはここのところ、ビンテージ時計に注目し始めた。
そして彼はそれらがニューモデルと同様の価値があることを発見した。
彼の唯一のビンテージ時計は1960年半ば、叔父の最初の妻が彼(叔父)に買ったRolex Daytona。
Schwantsは使われないバイクで、あり得ない取り引きをし、努力の結果それを手に入れることになる。
”SuzukiがFour-Stroke Bike RM-Z250を出す前、新しいFour-Stroke Bikeがどのような乗り心地か見たかった。
だから叔父からYamaha YZ2501を買ったんだ。”と説明した。
”その後私はRM-Zを手に入れた後、叔父に(私のために)Yamahaを売るように言った。
彼はそれを売り$4,000〜5,000を得たんだ。彼は現金を集めまわった。
それで私は彼にDaytonaを譲らせたんだ。
とは言っても、彼は身につけることはなかったんだから。”
Schwantzは人々と多くの時間時計について話すことは、多くを学び、多くを費やしたと言った。
もしあなたにも腕時計コレクションがあるならば、それは本当に財産 ...
もしくは何かしら価値があるということだ。”
彼は言う ... Minutes Repeater a tourbillonのような全てだ。私のリストにもあるよ。
NASCARの規格によるとトップドライバーがレースキャリアを登りつめるには、
50年代のSchwantsのレースキャリアは短かった。
でも彼は後悔していない。もっと重要なのは得られたことに感謝をすること。
”私は幸運だった。”と彼は言う。
”私が20歳になった時、すべての選択肢を失いレースしか残されていなかった。
それ(レース)かもしくはフルタイムで働くかのどちらかだったんだ。”
”私は集中、願望(望み)、鍛練 ... 全てはともにあることに気づいた。
だが、私にそれらはもうない。”と彼は言う。
”もはやそんなレベルでレースはやりたくないね。”と言い、靴ひもを楽しげに結びあげた。
とTVから聞こえてきてはバイクとライダーが吹っ飛ぶ。
こんな事が毎レースごとに発生していたのは1980年後半から1990年代のバイクレースだったと記憶しています。
当時は「ワールドGP500」と呼んでいたと思いますが、今で言うモトGPになるのでしょう。
今のトップレーサーはロッシかと思いますが、当時はヤマハのレイニー、ホンダのドゥーハン、そしてスズキRGV-γを駆るシュワンツでした。
このシュワンツのイメージは無理を承知で前に出る!試合に負けても勝負で勝つ!というふうなところで無理をしなくても良いところでも終始攻めのスタイルでした。F1でいうマンセルと被るイメージでしょうか?
おそらくホンダ、ヤマハとのマシンの性能差を詰めるべくそういったスタイルになったのかも知れません。
あくまで私感ではありますけれど。
さて、そのケビン・シュワンツのインタビュー記事がアメリカの時計雑誌「Watch Time」2008年12月号に掲載されていました。(表題[Sultan of SPEED] スピードの暴君??)
当然、私には訳せませんので友人に翻訳してもらった(←ありがとう)内容を元に紹介したいと思います。
ちなみに雑誌の写真にはスズキのラッキーストライクカラーの(もちろんゼッケン34)RGV-γにまたがるエエおっさんのシュワンツが載っていました。その手にはIWCポルトギーゼWGトゥールビヨンが!!
また、バイクのタンクの上にそのIWCのトゥールビヨンと一緒にブランパンの「ル・ブラッシュ コンプリートカレンダーGMTムーンフェイズ」とジャガールクルトの「マスターコンプレッサーダイビングGMT」のショットも。
12個入りのワインダーボックスにはグラスヒュッテの「パノグラフ」、IWCの「インジュニア」「ビッグパイロット」、ロレックスの「デイトナ」、フランクミューラ、B.R.M、オーデマピゲ、ユリス・ナルダンなどなど。
なぜかそのワインダーボックスは旋盤機の横に置いています(w
とても懐かしく、愉しいインタビューでした。
以下はその一部を翻訳したものです。(ホントありがとう)
長年に渡るモータージャーナリスト、Peter Cliffordが著したSchwantzの自叙伝、The World's Championによると ...
”KevinはCagivaとリードしていたが、Lawsonは右方向から割り込もうとしたが、そこには隙間はなく、
CagivaはSuzukiの後部に接触し、最後に双方はコースアウトした。
Lawsonは負傷しなかったが、Schwantzは左の尻の関節を外し、手首のすぐ上の前腕を骨折した。
痛みに対し高い耐久力のあるSchwantzは数日間で立ち、彼の腕の幅に合わせた特注(?)鉄製の
板をグローブの下に入れ、2週間後にはレース出場を果たした。
”ひとたび鉄板が入ると、腕時計をつけようとする度に煩わしいんだ。”と彼は言った。”
それは肉体的にフィットしなかったのではなく、腕を曲げるにもかなりの努力を要したんだ。
肘を静止すると、右手首を曲げることができた。同じ動作でもダメージを受けた左手では
さらにもっと難しかった。
ところが2年後、Schwantzはそんな左手首の損傷を外科処置をし、3本の骨を入れ(しかも治りにくい手の骨)1995年レースシーズンに向けて復帰を早めた。
”だから、左手の親指が右手とは違ってるんだ。”と彼は言った。
幸運にもSchwantzの右手首にはスポーツマンらしく、Audemanrs Piguet Royal Oak Offshore Chronograph と言う、とても良いデザインの時計があった。
小指には1987年Daytonaクラッシュの影響が見えた。
(掲載写真には右腕にオーデマピゲのロイヤルオークオフショアのチタンを付けて、小指が外側に曲がっている左手の様子を説明しています。)
”時々人々は、私には左腕用の時計が必要だと言うが、私の答えは
「あのクラウン(リュウズ)を見たか?手首をどんどんたたき、何も持てない。特にこの手ではね。」
もし両方の手首を怪我したら ... ”
彼は笑って
”コードで首を絞めなければならないだろう”
と言った。
1980年前半当時、ハウストンの町はずれに住んでいたティーンエージャーのSchwantzは、
時計に関してまっすぐな見方だった。
”もし、それがRolexぢゃなければ、数には入れていなかっただろう。
私の父も、母も、叔父までもRolexを身につけていた。それは当時のステイタスでもあったんだ。”
家族の伝統は、Schwantzのバイクのディーラーである両親、JimとShirleyは娘と息子の16歳の誕生日にRolexを与えることで続いていく。
”私のSister(姉?妹?)StaciはステンレスゴールドのRolexをもらった。”
そして彼は言った ... ”彼女はまだ持っているだろうが、もう私は持っていないんだ。”
Schwantzは夏の午後、Galveston近くの(膝までの波が打ち寄せる)浜辺で
友人とフリスビーをしている間に、Jubilee-Bracelet Datejustを失くしてしまった。
”父と叔父は、たとえ何をするにしてもいつも時計をしていたからだ。”と言い、
”飛び上がって(ジャンプして)フリスビーをキャッチしようと水面に着地した時、
時計がはじけ飛んだんだ。”
Schwantzはそれから2時間、メキシコ湾の砂底を探った。
だが、結局見つけることはできなかった。
両親の反応は .....
”まぁ ... 私たちはお前が長い間持ち続けることには期待していなかったよ。”
..... Schwantzはうなだれた。
彼がRolexのオーナーだった間、短期間ではあったが彼にとってはあたかも永く一緒にいたかのような感じだった。
”レース中ですら、ロレックスでなかったならば勝ちえなかっただろう。”
やがて私は人々と時計について話すようになってから、もっと時計の機械的性能を理解し、そしてさらに大きく興味を発展させていった。
chwantz43歳、今は特殊なデザインに近づいていく。
”私はかつて、Rolexは大きいものだと思っていた。それだけ時計は大きく、格好良いものだと思っていた。”
私はいつも自分の手首はGlycine Airman 7かBell & Ross Br01-96をつけるに十分に値しないと言っていた。
しかしもし、時計が何かユニークなものであれば .......... 。
Glycineは4都市の時間を表示し、Bell & Rossは航空機のメーターのようだった。
私は時々思う ... ”これらを手に入れろ!”
Schwantzは時計を集めるだけではなかった。人にプレゼントすることも楽しんでいた。
彼は1度、アトランタ近郊のKevin Schwants Suzuki Schoolから
インストラクター(10人全て!)に報酬として与えた。
Protege Ben Spiesが6回のシリーズチャンピオンMad Mladinを打ちのめし、
2006年AMA Super Bike Titleを最初に取ったときには、Schwantsは彼にBRM V-12を送った。
彼の愛する(大切な)黒のラブラドール”BUCK"は数年前、時計を持つところだった。
”それはChronoswiss Timemasterだったんだ。”と彼は言った。”ベルトほど長い
メガネ用ストラップを作り、十分に太い彼の首に合わせてそのベルトを調整しようと思った。
それは、$3,000〜4,000だったが ..... イヤ、それにそんな価値はない、
むろん彼(犬、BUCK)はその上に寝転び、スクラッチするだけさ。”
Schwantzは数多くの時計をコレクションした。
”私がそれらについて考えると、もう買わない!”と誓うが
”それはいつも、衝動買いなんだ。店に入り、とても良いぢゃないか!で、いくらなんだい?
ぢゃ、買うよ!って感じでね。”
彼の最高級時計はIWC Portuguese (ポルトガル製) Tourbillon Mystere、
18金ホワイトゴールド、ワニ革ストラップだ。
”$98,000で小売りしていたが、本当にそんな価値があるのか?”と彼は聞く。
”それは見方だと思う。”
Spiesがそれを見たとき、彼は”あ!君の腕には私のBMW M6があるぢゃないか!
しかし、もし私が彼にMercedes-Benz S65と取り引きして$100+M6を手に入れた時、
私は彼が$80,000と言うに賭けた。私の時計は$98,000、しかし私が払ったのは$69,000、
今はきっと$80,000の価値だろう。”
SchwantzはここのところAP'S Royal Oak Offshore Alinghi Team Choronographに
魅せられている ..... にもかかわらず違った時計を予約している。
”私はCarbon-Fiberケースは安物のようだと思う。恐ろしい!
しかし何人かのそれらを持っている人々と話すと彼らは、問題はCarbonだと言った。
鉄やプラチナ、ホワイトゴールドの重みがなく軽い。コピーウォッチの様だと。”
Schwants は自身の時計の機械的特徴に理解と評価すると同時に、決してバイク同様譲り渡すことはしなかった。
彼はエンジンオイルやタイヤを変えたりなどという、単純な作業さえしなかった
”もし私がそれをすると ..... ”
と言い、ぷっと吹き出しながら
”いずれまた壊れるだろう。私にとって時計の1番格好良い光景は、私が壊せないほど精巧に作られていることだ。”
”Ulysse Nardin Sonata Cathedral Dual Timeは、私が持っている時計の中で1番操作するには複雑な時計だ。
なぜなら、GMT、アラームがあり、アラームがなるまでのカウントダウンがあるからだ。”
”Sonataは私が持っている時計で唯一、アラームセットするためにリュウズを後ろに巻かなくてはいけないんだ。”
Schwantsはここのところ、ビンテージ時計に注目し始めた。
そして彼はそれらがニューモデルと同様の価値があることを発見した。
彼の唯一のビンテージ時計は1960年半ば、叔父の最初の妻が彼(叔父)に買ったRolex Daytona。
Schwantsは使われないバイクで、あり得ない取り引きをし、努力の結果それを手に入れることになる。
”SuzukiがFour-Stroke Bike RM-Z250を出す前、新しいFour-Stroke Bikeがどのような乗り心地か見たかった。
だから叔父からYamaha YZ2501を買ったんだ。”と説明した。
”その後私はRM-Zを手に入れた後、叔父に(私のために)Yamahaを売るように言った。
彼はそれを売り$4,000〜5,000を得たんだ。彼は現金を集めまわった。
それで私は彼にDaytonaを譲らせたんだ。
とは言っても、彼は身につけることはなかったんだから。”
Schwantzは人々と多くの時間時計について話すことは、多くを学び、多くを費やしたと言った。
もしあなたにも腕時計コレクションがあるならば、それは本当に財産 ...
もしくは何かしら価値があるということだ。”
彼は言う ... Minutes Repeater a tourbillonのような全てだ。私のリストにもあるよ。
NASCARの規格によるとトップドライバーがレースキャリアを登りつめるには、
50年代のSchwantsのレースキャリアは短かった。
でも彼は後悔していない。もっと重要なのは得られたことに感謝をすること。
”私は幸運だった。”と彼は言う。
”私が20歳になった時、すべての選択肢を失いレースしか残されていなかった。
それ(レース)かもしくはフルタイムで働くかのどちらかだったんだ。”
”私は集中、願望(望み)、鍛練 ... 全てはともにあることに気づいた。
だが、私にそれらはもうない。”と彼は言う。
”もはやそんなレベルでレースはやりたくないね。”と言い、靴ひもを楽しげに結びあげた。
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